そもそも、ミュージシャンとして俺は生きていくのだと志始めた18、9の頃、僕は日本を変えるつもりでいたし、変えられると思っていた。
高校の頃から最速の近道はオーディションだと決め、当時組んでいたバンドで何種類かの審査を受け、そこそこの評価を得ていた。
実際、なんのためにいるのかよくわからなくなってやめた大学を一年で中退した後、大阪で一人暮らしを始め、ミュージシャンネームを考えていたとき「日本十太郎」という名前をノートに書き記したりしていた。岩見十夢という本名ではなく。この話は当時出会った人間にもほとんど話した覚えはないけど、バイト先なんかで出会った人たちに相談したりしたように思う。いろんな人に話した結果、やはり日本十太郎はダサいという結論に至り、本名でやっている。その当時のフジパシフィック音楽出版(現フジパシフィックミュージック)のオーディションにデモテープ(文字通りカセットテープ)を送り、テープ審査を通り、表参道のライブハウスでライブ審査を行い、最優秀賞を得てその賞品である亀田誠治さんプロデュースによってCDをリリースさせていただいた。
そういった経緯なので、当時の僕は「夢は叶う」を地で生きていた。(感覚として、勘違い込みで)
なるべくしてなったと思っていたし、それについては今でも疑う要素はない。
本気で「こうする」と決めたら、その人間は無敵になれるはずだと思う。
とにかくすごくトンガっていたし、歩けばそこらの電柱に刺さるぐらいのトンガリだったはずだ。とはいえ、バイト先の年上の兄ちゃんなんかに、「ミュージシャンなるために大学やめて大阪来たん?そんなん無理やで、才能あんの?自分で才能ありますって言えへんかったら、そら無理やで」とか言われても「そうですよね〜!」くらいの愛嬌は余裕でかましていたし、軽く馬鹿にされるぐらいで吠え返すようなチャチなトンガリではなかった。圧倒的な若気の至り、圧倒的な思い込みが、したたかさを支えていた。
そうして今、音楽ってなんだろう?とふと思う。その当時の僕より、今の方が音楽をよくわかっているし、多く知っている、と思っている。しかしこの、「音楽をわかっている」ということが、どういうことなんだろうと思う。気持ちの良いメロディー、演奏、間、洒脱な展開、転調、驚き、スペシャルな歌詞、、、
例えばファッションにも通じる「外し」というテクニック。あえてスタンダードではない、スーツにスニーカー合わせるような。しかしこれもまた、例えられるという時点でダサいのではないかとも思うのだ。もうそれはスタンダードになってしまっているからだ。
逆に、あの頃の僕が「わかっていたこと」が、今の僕にはわからなくなっているんじゃないだろうかと思っている。もし、あの頃の僕に会えたなら、彼は僕のことをどう思うだろうか?とても興味がある。