缶切りで缶を開けるときに、キコキコとどこまで切ってしまうべきかの小さな葛藤の中にも、秘密は隠されている。
ぐるっと一周して丸ごと切り落とすべきか?
1センチほど残したところでクイっと上に持ち上げるべきか?
作業が進行していく最中、瞬間瞬間に浮かび上がる選択肢。
例えるならばそれは、限られた長さの導火線に火を着けられたダイナマイトのようであり、崖っぷちで海を眺めていたら後ろから大きな岩が転がってきたような状況である。
そのとき何を選ぶべきか?というのはつまりもっと掘り下げれば「今どれをチョイスするのが一番スマートか?」という事になる。
そこに、その人ごとのスマートさの定義が現れていく事になる。
そう考えれば、生きていればおのずとあらゆる試練が向こうから訪れてくるので、年を重ねるごとに人はますます磨きがかかり洗練さを伴っていくはずである。馬鹿げた状況説明のセリフで一杯の、「現実的に考えて今この状況でお前わざわざそんなこと言う?」というツッコミを見てて抑えきれなくなってしまうようなボンクラ映画ではなく、表情や少ないセリフで表現された小津映画や北野映画のような人間になっていくのだ。
そして僕は今日、プルタブタイプのトマト缶を開けたのだが、最後の最後に引きちぎる際、上蓋の内側の面に付着しているトマトを勢いよく放射。着ていた白いシャツにも当然飛び散る結果になるのだが、今考えてみるに、引きちぎる前に上蓋の内側の面のトマト部分を拭き取るという工程を一度挟むと良いのでは?と思いついた。
あるいはプルタブには申し訳ないが最後の最後、缶切りに登場してもらい切り取る、というアイデアも思いついてしまった。
しかしどちらともすこし鈍臭さが伴っているように感じる。
一番かっこいいのはやはり大胆に指一本で勢いよくちぎりとる姿に違いないのだ。
そこは譲らないことにしよう。
周りが汚れる、ということが問題であれば、まず上着を脱ぎ、半裸の状態で外へ飛び出し、思い切り引きちぎった後でキッチンに戻ればいいのだ。これだ、これが一番考えられる最上のスマートだろう。
このアイデアをこのブログで発信することにより、多くの賛同を得ることになるだろう。何て素敵なことだろう。世界中のあらゆる場所で、半裸の男女がプルタブ式の缶詰を解放された野外で堂々と開ける姿。