どうもみなさん、おはこんばんち!

スィンガーソングゥライターの岩見ンミンゼミこと、土の中ぬくおです!

やあやあやあ!

そういえば、「アレアレアラレちゃん」という曲の歌詞に、「ペンギン村から おはこんばんちは〜」という歌詞があるんですが、子供の時「おはこんばんち」は何丁目何番地の「おはこん番地」だと思っていたんですよね〜

今あらためて活字を見返すと、「おはよう、こんにちは、こんばんは」のミックスであるということが窺い知れる訳ですね。これはあらためて見るとすごく便利な言葉で、今やネットネット、ネットの世の中ですから、昼夜の区別なんてなくて、世の中の情報に飛び込むかどうかは電源を入れる側に選択権があり、24時間常時ネットという名の社会の窓は開きまくっているわけで、情報を提供する側も見る側が、朝見るのか昼見るのか夜見るのかなんてわからない状態なので、そんな時は「おはこんばんち〜!」で片付けることが出来るわけですね。

とはいえ、そんな便利な言葉であっても、あまり聞かないのはなぜでしょうね〜。大体が、夜であっても挨拶となると「おはようございまーす」になっていますよね。

色んな「現場」という場所がありますが、その日1発目に会う人に向かってはどこでも「おはようございまーす」になってますね。「おーす」とかね。それに対して「メース」と返しても多分誰も何も突っ込まないと思うんですよね。雰囲気物ですよね、完全に。あるいは結構なパーセンテージで「アス」「ass」と言っている人も居たりして、その場合はもう翌日になっちゃってるんですよね。「明日(あす)」な訳ですからね。

だからと言っていきなり会って、「明日!」と言われた方は別に「いや、今日わい!」とか、「おとと〜い!」とか「ほなこっちは、よくじつー」とか「3日後ー!」とか答えるでもなく、大きい心持ちで「EARTH!」と答えてたりするので、ほんま無茶苦茶やなあとか思いますよね〜。まあそういうわけで、どんどん言葉が崩れていくんですね。常用語なんかは淘汰されて溶けていくんです。

我々が猿だった時の言葉の役割が、猿の毛繕いのようなものであったということが人類学者の本に書かれていて、言葉の起源はやっぱりフィジカルな部分にあって、なんというか表現の正確さと実用性とは別のところにあるというか、あるいはその両方にあるというか。そうなると歌っていうのは?とか考えたり、考えなかったりするわけですね。だって、シンガーソングライターですよ?

まあこうやって、誰が読むのかもわからないブログを更新したりとかも面白くて、結局のところ、とどのつまり、鼻の詰まり、トドの小躍り、 コミュニケーションじゃね?いっちゃん大事な所って、コミュじゃね?という結論めいたものが自分の中では近年上位を占めている感じを感じているんですよね、はい。感じを、感じてるんです。そうです、これってワタスの感想ですけど?何か?いいえ、ハンドパワーです。あ、いや、やっぱり感想で良いっす!

あっす!

うっす!

うっす!

へっす!

ものすごく長くなったんですが、ふと、とある曲の歌詞で「あたらしい未来」って言葉があって。

未来って、これからの事なので、必ず新しいはずなんですよね。それに対して「新しい」と形容するのはどうなんだい?と一度思うわけです。

(注:なかやまきんに君でもあるまいし、とかツッコミを入れつつお読みください。)

で、その後に、でもやっぱり「新しい」と形容しなければいけない作者の気持ちが窺い知れてくるんですね。つまり我々は「未来」と名付けることが、これから先に起こることの総称として出来るわけで、それをとらえるために「想像」するわけです。それを捕まえる為に、イメージとしてかたどるために、ふちどるために、ですね。

そこに対しての「あたらしい」なわけです。

大体、何回か石を、あるいはボールを投げればそれが描く放物線が見えてくると。投げた瞬間からは、落ちる時は未来なはずなのに、もう大体予測ができてしまっているんですね。そこを「書き換える」わけですね。ボールを投げた後の未来を。百回投げて、千回投げて、一万回投げたら、もうどこに落ちるかを知った気でいる。だけど、次投げた時、空中で鷲が「がっ」と咥えて全く想像もしなかった、立っている場所からは見えない場所へボールが消え去っていく、とかね。だからそこには「意志」があるんです。

「あたらしい未来」という言葉ひとつ、たったワンフレーズですが、その形容には、そう書き加えた作家の意志があるんです。

だから、「馬から落ちて落馬した」とは違うんですよね。ほんと、言葉って宇宙ですよね。

ということで次回は

「サウジアラビアの天下一武道会でオセロしてみた」

「ドーナツの穴に隠れているのはドーナタ?」

「カッパのハゲチャびんは皿を乗せてても見分けられる?」

の3本です!またお会いしましょう!

ばいちゃばいちゃ!

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3 Replies to “「あたらしい未来」という言葉に対する考察”

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