自分
自と分
自分とはなにか?
自らの分
わたしはこうありたい、という姿があるとするならば、というような考えでもなく、「人は何ができるかではなく、何を成したかで決まる」というような在り方で存在していると思う。
つまり全ては結果論であって、ジョンレノンは世界を変えようなんて思って最初からギターを弾いたわけではないだろうし、岡本太郎は逆立ちして地球を持ち上げたと言ったわけで、自の中にあるものが革命を起こしたり衝撃を覚えたりして力になっているのだろうと思う。
そう考えれば、周りにいる人間や関わっている人たちが如何に重要であるかは明白で、例えばそれは波のようなもので、自分が波の一つだとすればいきなり堰きとめられたら反動でぐわーんと戻されて消えて失われるし、ドミノ倒し然り、所詮8割近くが水分であとを骨と肉で支えてなんとか動いている生物が一個の個体として、その身を維持しながら何かを成すなど人の手や他の力を借りずしては不可能に等しい。
というのは至極真っ当な意見であって、何一つ面白くもなんともないし、そもそも僕はなにをここに垂れ流しているのか不明で、しかしこのような意味わかめな文章をびりっと破り捨ててしまったら、ここに書き記すようなことは何一つなくなるっていうか、シャキーン!のオンエアーの情報とか、次ここでライブやりますとか、いわゆる連絡事項のみになってしまうま。しまうまで思い出したけど、白黒のボーダー着ても、全然しまうまっぽくならないよね、人は。やっぱりあれは曲線の描き方が違うんやろね。綺麗に並んでないもんな。ボーダーっていうか年輪に近くて、本物のヒョウやトラみたらなんて美しい柄だ!って思うけど、豹柄の服着ても全然違うもんね。ぜんぜん違うもんねっていうか、豹柄の服なんか持ってへんからね。
というわけで、先日「うつゆみこ」さんに写真を撮っていただきました。
近々、公開していけると思います。
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