先日、ばあちゃんが亡くなった。数えで98歳とのことだった。10数年前に、ばあちゃんの旦那さんである、僕のじいちゃんは先に亡くなっている。

じいちゃんが火葬場で焼かれた日、快晴の空へ煙が舞い上がるのを見ていた。その日はとても天気が良くて、天へと登る白い煙が何とも叙情的で美しく、神秘的ですらあった。

今回ばあちゃんが焼かれる時、そのことを思い出し、火葬場の外へ出てみた。五月の末にしては日差しの強い夏日だった。おじいちゃんの時と同じように青空広がる、快晴だった。ただ、火葬場自体は別の場所だった。いかにも最新式という感じのする、シルバー調の建物で、棺を炉に入れた後は、エレベーターのようなスイッチがついてあり、全自動管理されていた。コンパクトな機械駐車場のような趣で、無機質さと清潔さが徹底されている。

もちろん10数年前だって全自動だったに違いないが、具体的にどんな形だったのかが思い出せないが、じいちゃんの時はもう少し「かまど感」を感じたような気がする。筒を口にくわえて風を送り、うちわでパタパタする人は恐らく居なかったが、そんな妖精が居なかった、とは言い切れないくらいの。

空を見上げてみても、煙はどこにも出ていなかった。物を焼いているんだから、絶対にどこかには出さないといけないはずだと、建物の周囲を散策してみた。やはり、煙はどこからも出てはいなかった。しかし、建物奥側側面に、ものすごい勢いと音を立てている換気口のようなものが、地上へ向かって下向きにあり、何かを排出していた。それは建物の少し高いところにあり、近づくことも出来ない距離だったが、何重にもフィルターをかけられているからなのか、全く不思議なくらいに煙は出ていなかった。

僕と同じタイミングで外へ出てきた親戚と僕の弟が、近くでアイコスを吸っていた。10年前はアイコスなんて無かった。無煙タバコのアイコス。火葬場と煙草の進化がシンクロしていた。

青空に煙が足りていなかった。紙の煙草に火をつけて、煙を空に吐き出したかったけど、2年前に禁煙した僕のポケットには煙草なんてなかった。

ジリジリと照りつける日差しが強くて、物足りなさを感じたまま建物の中へ戻った。

 

 

 

 

 

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